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大阪地方裁判所 平成8年(ワ)1027号 判決 1997年8月29日

原告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

吉田義弘

被告

学校法人白頭学院

右代表者理事

金山治

右訴訟代理人弁護士

裵薫

林範夫

主文

一  被告は、原告に対し、一二九万一九三五円及び内金二五万円に対する平成八年二月一日から、内金二五万円に対する同年三月一日から、内金二五万円に対する同年四月一日から、内金一五万円に対する同年五月一日から、内金一五万円に対する同年六月一日から、内金一五万円に対する同年七月一日から、内金九万一九三五円に対する同年八月一日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その二を原告の、その余を被告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  原告が、被告に対し、雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

二  被告は、原告に対し、平成八年一月以降毎月末日限り一か月二五万円の割合による金員及びこれらに対する翌月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は、被告の負担とする。

四  第二項につき仮執行宣言

第二事案の概要

一  事案の要旨

本件は、学校法人である被告の体育教員であった原告が、被告に対し、雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認並びに平成八年一月以降毎月末日限り一か月二五万円の割合による賃金及びこれらに対する翌月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めたのに対し、被告が主位的に合意解約、予備的に妻子ある原告が生徒の母親と情交関係を有したことを理由とする懲戒解雇により雇用関係が終了したこと及び中間収入の控除を主張して争った事案である。

二  争いのない事実

1  原告は、被告の設置する中学校及び高校において、体育教員として勤務していた。

2  原告は、平成七年一二月二〇日午後一時ころ、被告校長A(以下「校長」という。)に対し、退職願を提出したが、同日午後三時過ぎころ、校長に対し、電話で右退職願を撤回する旨の意思表示をした。

3  被告は、平成八年七月一九日の本件第三回口頭弁論期日において、予備的に原告を懲戒解雇する旨の意思表示をした。

4  原告が被告から支給されていた給与は、毎月手取り二五万円を下らない。

三  被告の主張

1  合意解約の成立

(一) 平成七年一二月一四日の合意解約申込による合意解約

原告は、平成七年一二月一四日、校長に対し、原告が指導するサッカー部生徒の母親乙山月子(以下「月子」という。)と不倫関係を結んだことの責任を取り退職する旨の意思を表明した。翌一五日、校長は、右意思表示を教職員の任免権を有する被告の理事長金山治(以下「理事長」という。)に伝え、理事長はこれを承諾した。したがって、この時点で原告と被告間の労働契約は合意解約された。

原告は、被告が承諾の意思表示を発信していない旨主張するが、被告は、校長が原告の妻甲野花子(以下「花子」という。)を介して伝える形で、同月一七日又は一八日に、そして、同月二〇日には、校長が、原告に理事長の承諾の意思を伝えているのであって、その発信自体は同月一五日になされたものである。仮にそうでないとしても、同月二〇日には承諾の意思表示が発信された。

(二) 平成七年一二月二〇日の合意解約

仮に右(一)が認められないとしても、原告は、平成七年一二月二〇日午後一時ころ、校長に対し退職願を提出して重ねて退職の意思を表明し、同日午後一時ころ、教職員の任免権者である理事長がこれを承諾した時点で、原告と被告間の労働契約は合意解約された。承諾権者の受理が直ちに承諾の意思表示となることは判例の認めるところである(最判昭和六二年九月一八日労判五〇四号六頁)ので、右承諾の後になされた原告の合意解約の申込の撤回は、効力を有しない。

2  懲戒解雇(予備的主張)

(一) 懲戒事由

原告は、原告には妻子があるにもかかわらず、自らの指導するサッカー部生徒の母親月子と不倫関係を結んだ。その結果、月子と月子の前夫丙下二郎(以下「二郎」という。)の間の子供二人と、二郎の兄の子供が、平成八年三月末日をもって被告の中学校を退学せざるを得なくなった。

被告は、在日韓国人師弟に民族教育を行うことを目的として設立された法人であり、児童、生徒のほとんどが韓国籍であるという特殊性を有する。原告の行為は、儒教的な性的倫理観・道徳観の強い韓国においては姦通罪に該当する非違行為であり、被告の信頼を著しく害する行為である。したがって、原告の行為は、被告の勤務規定三一条が懲戒解雇事由として定める「教職員としての品位を失い、学院の名誉を損ずる非行のあった場合」に該当する。

(二) 懲戒手続

被告では、教職員の任免権者である理事長に懲戒権が専属し、理事長が懲戒処分を行い、特別の懲戒手続を定めていないが、校長は平成七年一二月一四日、原告からその非違事実が真実であることを確認しており、原告に対して、告知聴聞の機会は与えられている。

(三) 懲戒解雇の意思表示

(1) 校長による懲戒解雇の通告と理事長の追認

<1> 校長は、原告に対し、平成七年一二月一四日、懲戒解雇を通告した。

<2> 翌一五日、理事長は、右懲戒解雇を追認した。

<3> 右<2>の理事長の追認の意思表示は、同月一七日又は一八日に校長から原告の妻花子を介して原告に伝えられた。

<4> 右<2>の理事長の追認の意思表示は、同月二〇日、校長から、原告に伝えられた。

<5> 右<2>の理事長の追認の意思表示は、同月二八日、理事長から、直接原告に伝えられた。

(2) 理事長による懲戒解雇の通告

仮に、校長による懲戒解雇の通告が有効なものと認められないとしても、右の<3>ないし<5>の各日付で、理事長の懲戒解雇の意思表示が原告に伝えられた。

(3) 仮に以上の事実がいずれも認められないとしても、被告は、平成八年七月一九日の本件第三回口頭弁論期日において、原告を懲戒解雇する旨の意思表示をした。

3  中間収入の控除(予備的主張)

原告は、平成八年一月約一週間運送業に従事し、一万円の収入を得、また、同年二月、約一か月間惣菜の販売に従事して収入を得、さらに、同年三月末日から九月末まで、おしぼりのレンタル業に従事して月額三五万円の収入を得ている。これらの中間収入は、原告への給与から控除されるべきである。

四  原告の主張

1  本件の事実経過は以下のとおりである。

(一) 原告は、原告が指導するサッカー部生徒の母親である月子と、平成七年五月ころまで数カ月間交際していた。当時月子は、前夫二郎とは既に離婚していた。

(二) 原告は、同年一二月一四日、突然月子及び二郎から呼び出され、同日午前一〇時ころより二時間近くクレーン車車内等において、二郎から、顔面等への足蹴り、肘撃ち、携帯電話での殴打等の執拗な暴行を受けた。その際、二郎は、原告に対し、携帯電話で学校に電話して辞めると言うよう強迫し、原告はやむなく学校に電話し、校長に対し退職したい旨伝えた。

(三) 同日午後一〇時過ぎころ、原告は二郎から呼び出され、花子と共に二郎の自宅に赴いた。そこには、月子、月子の叔母と称する女性、校長が同席していた。その席で校長は、原告夫婦(原告と花子)に対し、とりあえず翌日から自宅謹慎するよう告げた。

(四) 原告は、同月一五日から同月一八日までの間、二郎から朝晩を問わない執拗な脅迫電話を受け、「強い恐怖感、身体硬直、不眠、抑鬱気分出現」などという心身面の変調を来し、同日午後より同月二八日までT病院に入院した。

(五) 同月二〇日、原告は、校長から会って話をしたいとのことで呼び出され、花子と共に天王寺ステーションビル内のレストランにおいて校長と会った。

右席で、校長は、「原告の退職問題が解決しないと事務処理ができないので教職員全員のボーナスはストップする。辞表を書いてくれ。」などと述べて原告に対し辞表の提出を要求した。原告は、二郎の執拗な退職強要によって強度の抑鬱状態に陥っており、心身ともに疲れ果てていたため、あくまで校長に預けておく意思で花子と共に退職願をその場で作成して校長に提出した。その際、校長が「理事長の所に置いておくだけだから始末書も書いてくれ。」と言ったため、原告は預けるだけならよいと考えてこれに応じた。

(六) 同日、原告が病院に戻ると、警察に相談したので心配しなくてよい、学校を辞める必要はない旨の弟Bからの伝言メモがあった。そこで、原告は校長に預けた退職願のことが心配になり、同日午後三時ころ、校長に架電し、「退職願は撤回する。二郎の兄にも相談しているので、事態がはっきりしてからにしたい。」旨伝えた。これに対し、校長は、「困ったな。既に二郎から電話があり、原告を退職させたと伝えてしまった。」と虚偽の弁明をし、退職願の撤回を思いとどまらせようとした。

(七) 校長は、同日午後三時三〇分ころ、被告の高校の職員会議で、原告から退職願の提出があった旨報告し、翌二一日には被告の全体の職員朝礼及び合同会議で、原告が退職したと報告した。

(八) 原告は、同月二二日、被告に対し、職場復帰を求める旨の通知書を送付し、右文書は同月二三日被告に到達した。しかしながら、校長は右文書を職場復帰していた花子に返した。

(九) 同月二八日、原告と花子は原告の職場復帰の交渉をするため、被告理事長宅を訪問した。その際、理事長から求められて前項記載の通知書を交付した。

2  法的主張

(一) 平成七年一二月一四日の合意解約申込による合意解約は成立していない。

(1) 原告は、口頭においても、退職の意思表示をしていない。

(2) 被告の就業規則では、依願退職は少なくとも三〇日前までに退職願を所属長に提出して行うこととされている。これは、合意解約に関する規定であり、合意解約の意思表示の慎重性を担保するために書面を要求した趣旨と解釈すべきであるところ、原告の平成七年一二月一四日の退職の意思表示は書面でされたものではないから、効力を有しない。

(3) 仮に、書面による必要がないとしても、同日の退職の意思表示は、二郎の強迫によってなされたものであり、原告は、平成八年六月六日、右意思表示を取り消す旨の意思表示をし、右意思表示は、翌七日に被告に到達した。

(4) また、合意解約が成立するためには、承諾の意思表示が発信される必要があるところ、本件においてはこれがない。校長は、原告に対し、自宅謹慎を命じており、これは合意解約の承諾の意思表示とは矛盾する意思表示である。

(二) 平成七年一二月二〇日の合意解約は成立していない。

(1) 原告は、校長に退職願を預けただけであり、合意解約の申込に該当しない。

(2) 仮に、原告の退職願提出行為が客観的には合意解約の申込であるとしても、実際は退職願を預けるだけの意思であったから、錯誤により無効である。

(3) 被告の就業規則によれば、合意解約申込の意思表示は退職の効力発生の日の三〇日以上前にされなければならないとされているところ、本件退職願の提出は右要件を満たしていない。

(4) 校長は、原告に対して、退職願を預かるだけであると虚偽の事実を申し述べて、退職願を提出させたものであり、原告は、平成八年六月六日、右退職の意思表示を詐欺により取り消す旨の意思表示をし、右意思表示は、翌七日に被告に到達した。

(5) 原告は、平成七年一二月一四日、二郎から暴行を受け、以後も電話による強迫が続いた結果、驚愕・抑鬱反応に陥り、退職願を作成した同月二〇日時点では正常な判断能力を喪失しており、右退職の意思表示は、二郎による強迫によるものである。また、校長も、原告が精神的に参っていることを知りながら、「退職しないと教職員全員のボーナスをストップする。」などと述べて原告を強迫して退職願作成を強要したものである。原告は、同月二三日に被告に到達した通知書によって右退職の意思表示を取り消した。

(6) 仮に原告の合意解約申込が有効であったとしても、平成七年一二月二〇日午後三時ころ、被告による承諾の意思表示が発信される前に原告は右意思表示を撤回した。

(7) 被告は、退職願と共に原告に始末書を書かせており、これは在職を前提とする懲戒処分としてのけん責の実行形式であるから、退職承諾の意思表示とは矛盾する。

(三) 懲戒解雇は、その意思表示が存在せず、又は、懲戒事由に該当しないから懲戒権の濫用であって無効である。

(1) 被告は、平成七年一二月一四日から同月二八日までの期間には、懲戒解雇の意思表示をしていない。懲戒解雇の意思表示があるとすることは、校長が同月一四日に原告に自宅謹慎を命じ、同月二〇日には退職願が作成されていることと矛盾する。また、懲戒解雇するための手続も履践されていない。

(2) 原告の行為は懲戒事由に該当せず、仮に該当するとしても、懲戒解雇は相当性を欠き懲戒権の濫用であって無効である。

ア 原告の交際した月子は、当時離婚しており独身であったから、たとえ同人が生徒の母親であったとしても、何ら非難される行為ではない。

イ 原告に配偶者があるにもかかわらず、他の女性と交際したことについては、被害者である配偶者花子が宥恕し問題としていないこと、本件が発覚した時点では月子との交際が断絶してから七か月が経過していたこと、原告には過去に私生活面及び職務面において何らの問題もなかったから、けん責や出勤停止ならともかく、懲戒解雇に相当するような非違行為とはいえない。

ウ 被告が、日本法に基き(ママ)設置され、普通教育を行う学校法人であること、生徒はほとんど全員が日本で生まれ育ち、日本文化に接している者であること、現在の、特に在日の韓国民族一般が、被告の主張するような強い儒教的道徳観を普遍的に有しているとはいえないこと、韓国刑法の規定が日本国内において適用される可能性はないこと、韓国刑法の姦通罪の規程が、特に在日韓国人一般の道徳観に完全に一致するとは断じがたいこと等を考慮すれば、本件において、韓国系民族学校の特殊性を過度に強調することは相当でない。

(3) 被告が平成八年七月一九日本件第三回口頭弁論期日でした懲戒解雇の意思表示は、原告の提起した本件訴訟の報復として行われたものであり、懲戒権の濫用であって無効である。

3  中間収入の控除について

被告の中間収入の控除に関する主張について、本件訴訟の最終段階になって初めて主張されたものであるので、時期に遅れた攻撃防御方法として却下を求める。

第三争点に対する判断

一  前記争いのない事実、証拠(<証拠・人証略>)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  被告

被告は、同一敷地内に小学校・中学校・高校を持つ学校法人である。被告は、昭和二一年に第二次世界大戦終了を契機に在日韓国人に対する教育水準の向上を図る目的で設立されたという特殊な経緯を持つことから、児童、生徒のほとんどが韓国籍であって、日本国籍保有者は数名に過ぎないという特殊性を有する。現在、被告では、小学校の約五〇パーセント、中学校の約二〇パーセント、高校の約一五パーセントの生徒が韓国企業の日本駐在員などの子女で占められており、この生徒達は、主として韓国大阪総領事館の紹介で被告に入学しているものである。教職員については、四〇名中九名が日本国籍であるに過ぎず、他の三一名は韓国籍である。

被告では、法定のカリキュラムを実施しているほか、韓国語、韓国の歴史・地理を必修としており、クラブ活動、体育祭・文化祭などの学校行事を通じて韓国人としての民族性を養うことができるよう指導教育がされている。

また、被告では、教職員及び生徒は、日本名ではなく、韓国名を名乗っている。

被告の学校経営に年間約四億円が必要なところ、授業料は総額約一億円でしかなく、大阪府から補助金として約二億円、在日韓国人団体から約三〇〇〇万円、在日韓国人篤志家から約二〇〇〇万円、韓国政府から約五〇〇〇万円の援助を受けている。

被告の勤務規定四条は、「教職員の任免その他の進退は、理事長がこれを行う。」と定め、同三一条は、懲戒事由として「教職員としての品位を失い、学院の名誉を損ずる非行のあった場合」を定めており、同三二条は、懲戒の方法は、けん責、出勤停止、懲戒解雇とし、非行の軽重、当該教職員の情状及び他教職員に対する戒告等の諸点を考慮して、任命権者がその処分を決定する旨定めている。

2  原告

原告は、在日韓国人であって、高校時代に全国高校サッカー選手権大会において全国優勝する等優秀なサッカー選手であって、昭和五二年に大阪体育大学体育学部を卒業し、家業の土建業を手伝った後、昭和五七年、被告に体育科非常勤講師として就職し、翌年教諭となり、被告の高校に所属しながら、被告の中学校と高校の保健体育を担当し、被告就職後一貫して被告のサッカー部の部長兼監督としてその育成に努めた。原告は、昭和六三年に被告の事務職員である花子と結婚し、三人の子供がある。

原告は、本件不倫行為の相手方である月子と二郎の間の子供二人(中学一年生と二年生)について、保健体育の授業を担当したほか、右子供二人がサッカー部に所属していたことからほぼ毎日部活で指導していた。

3  原告と月子の交際

原告は、平成六年八月五日ころの夜、サッカー部に所属する子らの保護者、OB、教師が集まり合宿打ち上げの焼肉パーティーを行う席で、月子と意気投合し、月子がサッカー部に所属する生徒の母親であることを知りつつもその夜情交関係を持つに至った。月子は、元暴力団行動隊長であって懲役に服した前科のある夫二郎と同年一二月に協議離婚したが、離婚前から月子と二郎は別居状態にあった。

その後平成七年五月までの間に、原告は、月子と五回ほどふたりきりで会った時には、必ず情交関係を結んでいた。この間、原告が月子の子供らを教育・指導する立場にあったことには変わりなく、原告と花子との夫婦仲が破綻していた故に月子に愛を求めたということもなく、原告と月子とが真摯な愛情を抱いていたわけではなかった。

なお、韓国においては儒教的な性的倫論観・道徳観が強く、韓国刑法二四一条は、配偶者のいるものが姦通したときは、二年以下の懲役に処する旨姦通罪を規定し、同法三条は、国外犯処罰規定を設けている。

4  平成七年一二月一四日の経緯

原告は、平成七年一二月一四日、月子と二郎から呼び出され、同日午前一〇時ころから昼ころまでクレーン車車内等において、二郎から、原告に妻子があって月子と二郎の間の子供らの教師でありながら月子と不倫の関係を結んでいたことを理由に、頭部への足蹴り、顔面等への肘撃ち、殴打等の執拗な暴行を受けた。その際、二郎は原告に対し、携帯電話で校長に電話して辞めると言うよう強迫た(ママ)ので、原告はやむなく学校に電話し、校長に対し学校を辞めたい旨告げた。さらに、二郎は、原告から携帯電話を取り上げ、校長に対し、「おまえんとこの一郎がうちの嫁はんとできたんや。おまえにも管理責任がある。」等怒鳴りつけた。

その後も、二郎は原告を連れ回し、原告の右手の甲に煙草の火を押しつけ、顔面を足蹴りするなどの暴行を加えたが、校長及び花子が原告を迎えに行き、原告は解放された。このとき、校長は、原告から原告が月子と情交関係を持った事実を確認した。

なお、後に二郎は右暴行により原告に対し通院加療約二週間を要する頭部打撲兼皮下血腫、右手熱傷の傷害を負わせたこと等で、起訴され、平成八年八月一日有罪判決(実刑判決・確定)を受けた。

平成七年一二月一四日夜、二郎は、原告、花子及び校長を二郎の実兄宅に呼び出し、校長に対し、自分の子供らを教育する立場にある教師がこのような問題を起こしたことは許せることではなく、原告夫婦(原告と花子)とも被告を辞めるべきである旨強く迫った。これに対し、校長は、もはや原告を被告に勤務させるわけにはいかないが、被告の任免及び懲戒権者が理事長であることから、理事長に連絡して原告の処遇を決定してもらわなければならないと考え、原告に対し、原告がもう教壇に立てない旨告げ、とりあえず自宅謹慎するよう命じ、その場はおさまった。

5  平成七年一二月一五日から同月一九日までの経緯

原告は、平成七年一二月一五日より同月一八日朝までの間、二郎から朝晩一回づつ脅迫電話を受けたことから、原告の弟の勧めで同日午後より同月二八日まで原告の弟が勤務するT病院に入院したが、精神科専門医の診察は受けなかった。

校長が、同月一五日、理事長に対し原告が妻子がありながら生徒の母親と情交関係を持っていたことを報告すると、理事長は、原告を被告においておくことはできず「首」である旨述べたが、懲戒解雇とまでは述べず、正式に懲戒解雇と決まったわけではなく、何時どのように原告との雇用関係を終了させるかについては決定がなされなかった。校長は、同日から同月二〇日までの間に、花子に対し、理事長が原告は「首」だと述べていることを告げ、原告と会って話がしたい旨告げた。

6  平成七年一二月二〇日の退職願提出の経緯

原告及び花子と校長は、平成七年一二月二〇日午前一一時ころ、天王寺ステーションビル内のレストランにおいて会った。

右席で、校長は、原告に対し、理事長が原告は「首」だと述べており、原告が被告に復帰するのは無理であることを明言した上で、今回のことは公にしないで再就職の道を選ぶのがよいのではないかと勧め、また、理事長に原告にもボーナスを出してもらうよう説得するつもりであること及びボーナスを原告にも他の教職員と共に支給できるようにするため、被告事務長に校長が帰るまで全職員のボーナスの口座振替手続を待つよう指示してあることを話し、退職願と始末書を提出することを勧めた。

そこで、花子が筆記用具と便箋を近くの文房具屋で購入してきて、同レストラン内で原告が退職願と始末書を、花子が退職願を、それぞれ書いて、校長に渡した。

被告の給与規定一六条は、期末手当(ボーナス)は一二月末まで在職した職員に対して理事長が定める額を支給する旨定めており、ボーナスの支給予定日は同月二二日であった。

7  理事長の承諾と退職願の撤回

校長は、平成七年一二月二〇日午後一時過ぎころ、原告及び花子と分かれて学校に戻り、理事長に電話して、原告から退職願と始末書を受け取ったことを報告し、理事長の了承を得た。しかし、理事長が、原告の行為に照らせば原告に対してボーナスを支払う必要はない旨主張したので、校長は、後で再度理事長の説得を試みることとし、原告のボーナス相当分は現金で用意させて自分が一時管理することとし、他の教職員のボーナスについては、通常どおり口座振替手続をとるよう被告事務長に指示した。

同日午後三時ころ、原告が病院に戻ると、警察に相談したので心配しなくてよい、学校を辞める必要はない旨の原告の弟からの伝言メモがあった。右伝言メモを見て、原告は、退職を取り止めようと考え、校長に架電し、退職願を撤回する旨伝えた。

8  その後の経過

原告及び花子は、平成七年一二月二二日、被告に対し、退職の意思表示を取り消す等主張して職場復帰を求める旨の通知書を送付し、右文書は同月二三日被告に到達した。被告は、同月二五日ころには、花子の職場復帰を認めたが、原告の職場復帰は認めなかった。

同月二八日、原告と花子は原告の職場復帰の交渉をするため、被告理事長宅を訪問したが、理事長は、原告の職場復帰を断った。

原告は、平成八年六月六日、平成七年一二月一四日の合意解約の申込を強迫により取り消す旨の意思表示及び同月二〇日の合意解約の申込を詐欺により取り消す旨の意思表示をし、右各意思表示は、平成八年六月七日に被告に到達した。

月子と二郎の間の子供二人と、二郎の兄の子供は、三人とも被告の中学校に通い被告サッカー部に所属していたが、平成八年三月末をもって被告の中学校を退学した。

校長は、二郎の原告に対する傷害事件について警察から事情聴取を受け、被告は、原告に対する指導監督不行き届きについて、韓国政府から領事の資格で派遣されてきている教育官の指導を受け、これまでどおり韓国企業に対して被告を推薦してよいのかと叱責を受けた。

二  平成七年一二月一四日の合意解約申込による合意解約の成否について

前記一認定事実によれば、原告は、平成七年一二月一四日、二郎の強度かつ執拗な強迫によって、畏怖を抱き、その畏怖によって、退職する旨の意思表示をなしたが、平成八年六月六日、右意思表示を取り消す旨の意思表示をし、右意思表示は翌七日に被告に到達しており、右強迫による退職の意思表示は取り消されたものと認められるので、被告の合意解約が成立した旨の主張は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。

三  平成七年一二月二〇日の合意解約の成否について

1  前記一認定のとおり、原告は、平成七年一二月二〇日、校長に対して退職願を提出しており、原告は、被告に対しこれにより雇用契約の合意解約の申込をしたものと認めることができる。

これに対し、原告は、校長に退職願を預けただけであり、合意解約の申込に該当しない旨主張するが、(証拠・人証略)、原告本人によれば、原告は、真に退職する意思を有していたことが認められ、原告の右主張は採用できない。

2  労働者による雇用契約の合意解約の申込は、これに対する使用者の承諾の意思表示が労働者に到達し、雇用契約終了の効果が発生するまでは、使用者に不測の損害を与えるなど信義に反すると認められるような特段の事情がない限り、労働者においてこれを撤回することができると解するのが相当である。なお、被告の引用する最判昭和六二年九月一八日労判五〇四号六頁は、対話者間で承諾の意思表示のなされた事案と考えられ、隔地者間で承諾の意思表示のなされた本件とは事案を異にするものである。

前記一認定事実によれば、原告は、合意解約の申込から約二時間後にこれを撤回したものであって、被告に不測の損害を与えるなど信義に反すると認められるような特段の事情が存在することは窺われず、原告は、理事長による承諾の意思表示が原告に到達する前に、合意解約の申込を有効に撤回したものと認められるので、被告の合意解約が成立した旨の主張は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。

四  平成七年一二月一四日ないし二八日の懲戒解雇の意思表示の存否について

前記一認定事実及び(人証略)によれば、当時、校長は、原告を依願退職させるつもりで原告に働きかけていたものであり、理事長も、「首」という表現を用いていたものの、正式に懲戒解雇とまでは決定しておらず、同月二〇日には、退職願を了承していることが認められ、当時、懲戒解雇の意思表示があったものとは、にわかに考えがたく、本件全証拠によるも、右懲戒解雇の意思表示を認めることができない。

五  平成八年七月一九日の懲戒解雇について

1  平成八年七月一九日の懲戒解雇の意思表示について

被告が、平成八年七月一九日の本件第三回口頭弁論期日において、予備的に原告を懲戒解雇する旨の意思表示をしたことは、当裁判所に顕著な事実である。

2  懲戒事由該当性について

教育者たるものには教育者にふさわしい高度の倫理と厳しい自律心が要求されているところ、前記一認定のとおり、教育者としての地位にあり結婚して子供もありながら、真摯な愛情に基づくわけでもなく、生徒に対する部活動の指導の中で知り合った当該生徒の母親と情交関係を繰り返していた原告の行為は、社会生活上の倫理及び教育者に要求される高度の倫理に反しており、被告の勤務規定三一条が懲戒事由として定める「教職員としての品位を失い、学院の名誉を損ずる非行のあった場合」に該当するということができる。

なお、原告は、生徒の母親と教師が交際することは、何ら非難される行為ではない旨主張するが、子供の教育という観点からは、毎日のように指導を受けていた妻子ある教師と自分の母親が情交関係を持っていたことを知った生徒が受ける打撃は計り知れないものがあり、たとえ事後に原告の配偶者が宥恕したとしても、原告の行為は社会通念上許されるものではないというべきであって、原告の右主張は採用できない。

3  懲戒権濫用の有無

前記一認定事実によれば、教師には生徒の保護者と協力して生徒の健全な育成を目指すことが期待されるところ、原告は妻子がありながら原告の指導する生徒の母親と情交関係を持ったものであって、原告の行為は単なる私生活上の非行とはいえず、社会生活上の倫理及び教育者に要求される高度の倫理に反しており、教職員としての品位を失い、被告の名誉を損ずる非行に該当すること、月子の子供二人と、二郎の兄の子供は、三人とも被告の中学校に通い被告サッカー部に所属していたが、平成八年三月末をもって被告の中学校を退学しており、子供らに対する教育上の悪影響が心配されること、被告は、その生徒のほとんどが韓国籍を有し、在日韓国人の子女であるか韓国企業の日本駐在員の子女であって、在日韓国人団体、在日韓国人篤志家、韓国政府から多額の援助を受けている等の民族的特色を有しているところ、韓国刑法は姦通罪を規定しているなど、韓国においては儒教的な性的倫理観・道徳観が強いことから、原告の行為は、被告がその基盤とする韓国人社会からの被告に対する信用を傷つけるものであること、校長が、二郎に対する対応等事後処理を余儀なくされ、警察から事情聴取を受け、韓国政府から監督不行き届きを指導されたことに照らすと、原告が問われるべき責任は軽いものとはいえない。なお、原告は、被告の民族的特殊性を過度に強調することは相当ではない旨主張するが、前記一認定事実、原告本人によれば、原告は被告の民族的特殊性を十分了解した上で被告に就職したことが認められ、被告の民族的特殊性を事情として考慮することは許されるというべきである。

右によれば、花子が原告を宥恕していること、原告と月子の関係の発覚時には、その関係が終了していたこと、懲戒解雇の意思表示時点では、右発覚時より約七か月が経過していたこと等原告に有利な点を考慮しても、原告に対する懲戒解雇が相当性を欠き懲戒権を濫用したものとは認めることはできない。

なお、原告は、被告の平成八年七月一九日本件第三回口頭弁論期日でした懲戒解雇の意思表示は、原告の提起した本件訴訟の報復として行われたものであり、懲戒権の濫用であって無効である旨主張するが、原告の右主張は、以上の認定事実に照らして採用することができない。

六  中間収入の控除について

1  原告は、被告の中間収入の控除に関する主張について、時期に遅れた攻撃防御方法として却下を求めるので、検討する。

本件訴えが平成八年二月五日提起され、平成九年二月一四日第七回口頭弁論期日において、当事者双方の主張が整理され、同口頭弁論調書に添付され、人証調が実施された後、被告は、同年七月八日付け準備書面において初めて予備的に中間収入を控除することを主張するに至ったが、同月一一日第一〇回口頭弁論期日において弁論が終結されたことは、当裁判所に顕著な事実である。

右本件訴訟経過から見て、被告の中間収入の控除に関する主張は時期に遅れて提出されたものと認めることができる。しかし、被告の右主張が、訴訟の完結を遅延させたものとは認めることができない。

したがって、原告の時期に遅れた攻撃防御方法として却下を求める申立は理由がなく、採用することができない。

2  原告が被告から支給されていた給与が、毎月手取り二五万円を下らないことは当事者間に争いがなく、原告本人にれば、原告は、平成八年三月末から同年九月末までおしぼりのレンタル業に従事して月三五万円の収入を得ていたことが認められる。被告の主張する他の中間収入については、これを認めるに足る証拠がない。

使用者の責に帰すべき事由によって就労を拒否された労働者が、その期間中に他の職について利益を得たときは、使用者は、右労働者に右期間中の賃金を支払うに当たり右利益の額を賃金額から控除することができるが、労働基準法二六条からすれば平均賃金の六割に達するまでの部分については利益控除の対象とすることが禁止されているものと解される。

したがって、原告に支払われるべき月毎の未払賃金は、平成八年一月から三月までは二五万円、同年四月から同年六月までは、二五万円の六割である一五万円、同年七月については、一五万円を三一日で除し、これに一九日を乗し(ママ)た九万一九三五円である。

七  以上によれば、原告の被告に対する請求は、

1  平成八年一月分未払賃金二五万円及びこれに対する同年二月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金

2  同年二月分未払賃金二五万円及びこれに対する同年三月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金

3  同年三月分未払賃金二五万円及びこれに対する同年四月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金

4  同年四月分未払賃金一五万円及びこれに対する同年五月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金

5  同年五月分未払賃金一五万円及びこれに対する同年六月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金

6  同年六月分未払賃金一五万円及びこれに対する同年七月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金

7  同年七月分未払賃金九万一九三五円及びこれに対する同年八月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金

の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないのでこれを棄却する。

(裁判官 西﨑健児)

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